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  • 2011.09.21 Wednesday
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W.ケントリッジ展@hiroshima city MOCA

というわけで。
ケントリッジ展、行って参りまして。
端的に言うと、非常に面白かったし、すごく示唆に富む展示会であったかと。

特にぼくみたいな、視覚文化研究をしようと思っている人(そのなかでも特に映画/アニメ)にとっては、大変興味深いものだった。なによりひたすら爆笑してた。笑えるってのは大事だと思っております。

まずひとつ注意点。普通に鑑賞しようとすると結構時間がかかる(らしい)。
入館が16時前であったため、受付のお姉さんに「時間かかる展示ですよ」と言われ、「えーと、どれくらいかかるんですかね?」「そうですね。しっかりひとつひとつを見てもらおうと思うと2時間くらいかかります」「あ、じゃあ大丈夫です。入ります」となった。まあ1時間ありゃいいや。と。十分見れるわ。
ぼくは、とりあえず芸(術)みたいなものというのは、どこで切り取っても成立し得るものが良いものだと信じているので、それは例えば北野武がいうところの、「自分の映画のどこでもいいからどっか切り取って絵にしたら、それだけで完成するってのが理想」ということで、いいもの、というのは基本的にそういうものだと思う。それだけで寓話的な理解は可能でしょう。最初から映画を見ないと分からないから、というひとは、それは映画を理解しようとしているのではなくて、単に論理を理解しようとしているだけで、運動的なメディアである映画の見方とは本質的に異質な見方であると理解した方がいい。みたいなことを思っている。なので全然、最初からひとつひとつじっくりと鑑賞するつもりはなかったので、無問題だったんだが、じっくり見たいという人もいるだろうから、その点はあれ、時間に余裕を持っていきましょう。と。

さて。
簡単な感想はこんな感じです。
以下はいろいろ考えたこと。感じたこと。
まず。
本質的にサイレントな映像。それ故に純粋に運動的な映像。だからこそ非常に面白い。

最初の方の映像がでーんと5つ一緒に映写されてて、ヘッドホンをもらって選局しつつ鑑賞するみたいなところがあるんだが、これは本当に、ああ、すげえと思った。他にも同様の、ひとつの空間にいろんな映像、という作品はあるのだけれど、それはその空間全体でひとつの作品となっている。それらの作品では、映写されている映像は複数であるものの、最初と最後は同期していて、つまり8とか9の映像が一斉に始まって一斉に終わるのである。それはそれでいいんだけども、最初の映像の部屋、というのは、完全に違う映像をひとつの空間に展示しているのである。これは本当に、何かこう、そう、あの、家で出来ないなって単純に。あとイメージが衝突してるって感じがむんむんして。まず、と書いたことを一番強く感じたのはここだった。ひとつひとつをじっくり見る、みたいなのは家でやればいいわけで(DVDがあるかとかは別として)、あるイメージとあるイメージがぶつかって、視点が定まらない、みたいな感覚が感じられる。ほんと良かった。
あとこの部屋でたくさん笑った。他の人はくすりともせずに真面目な顔で見てるんだけど、それで楽しいのか単純に疑問だった。

エイゼンシュタインがディズニーアニメに見いだした原形質性という概念の根付き。それはライアン・ラーキンとかから影響を受けているのだろうけれど、猫がしゅるっとメガホンに変わるとか、なんか、ああこれが「原形質性の吸引力」かとか思ったり。

コサックダンスの影はずっと見て笑っていた。めっちゃ人映ってるやん、と。

デューラーの測定法のパロディは、一番興奮しました。感覚的な遊戯と知能的な遊戯が交差してて。あれはつまり、数量化することによって平面に立体を閉じ込められるの、という図そのものを戯画的にしかもまんま立体にしちゃいましたぜ。という作品なのでしょう? 分かんないけど。ぼくはそう思って失禁しそうになった。なんか現場にいる感、というのも美術館に行くことで味わえるものだと思う。あの立体に見せる装置にも心惹かれた。こんなふうに目に直線的に図像を見せることができるのかという。なるほど、と。

建物が崩れるアニメーションとかあるんだけれど、ドローイングという手法だからか、そこに何かが確かに存在した、というのがはっきりと視覚的に残る、というのはおもしろい。これが「歩きながら歴史を考える」なのか分からないけれど。でも確かに、歩いてるアニメーションがあっても、その歩いてきた軌跡、みたいなものが物質的にそこに残っている。映像はひたすら「現在」のメディアだと言うが、このアニメの一瞬一瞬にはしっかりと「過去」が「現前」しているという。なんか上手く言えないけどそんな感じ。

今回強く感じたのは、特に絵の展示なのだけど、タイトルというパラテクストをどう処理するのがいいのか、というのは大きな問題だと思った。ああ、なるほど、と少しでも思ってしまっていいのか。倫理的な問題かもしれないけれど。でもこれは美学的にたぶんいろいろと議論はあるのでしょうね。よく知らないけど。

という、まあえらく断片的な感じですが、「映像に書くことは徹底して敗北しつづける」といいますし、つまり見に行ってくださいと。見て損は絶対ないですよ。と。

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  • 2011.09.21 Wednesday
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