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  • 2011.09.21 Wednesday
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私がなぜ、『Angel Beats!』の視聴を第1話で辞めるに至ったか。

なにやら巷で話題の『Angel Beats!』というアニメがあって、ぼくは一応第1話だけ見たのですけれども、なんとも別に新しくも何ともなく、加えて『けいおん!!』という神アニメが同時期に放送しているという事実も有り、切ったのですが、twitterのTLで流れてくる記事や議論など何となく見てみると、擁護/支持派も批判派も、特にきちんとした主張をしておらず、また批判をすると、「なぜ見るのか」などというどうしようもない反論を加えるという始末であったりするようで、少なくともぼくが見て面白い意見など皆目ないので、余興になぜぼくがこのアニメを見る事を辞めたのか、というのを、できるだけ具体的に記述したいと考えました。特にぼくのこの記事が誰かに有益になるかは分かりませんが、しかし、ぼくという個人の主張の根拠にはなるでしょう。加えて感情的な反論というものの抑制にもなるのではないかと考えています。
言うなれば以下の記述は、ぼくが『Angel Beats!』を評価しないという、その主張の背景でしかないかもしれません。

まず、ぼくは物語的な見地から分析を行いません。実際この物語を第1話しか見ていないぼくには、物語というものの分析が出来るわけがないでしょう。ぼくは形式主義者である、というのが以下の議論の前提です。もちろん、物語と形式は不可分なものであることは承知ですが、あくまで今回は形式(ショット)の分析を行いたいと考えています。
またぼくはあんまり論理的に文章を書くのが上手くないので、少々断片的な記述になってしまうかもしれません。申し訳有りませんが、そのあたりはご承知ください。


まず、次の羅列を見てください。

 .屮薀奪マット 風の音?
◆ヾ磴離ロースアップ → Z.O&回転 → ミディアムショット
 音無の右側からのショット(光は画面上−音無の頭上から) → 「ここはどこだ?」 → 画面奥へ向く
ぁ”景のパニング
ァ 弊擇衒屬掘防景のパニング及び揺れ
Α´のショットと同フレーム。音無の顔はこちらに向いている
А´い離轡腑奪箸琉き(画面中央に顔) → 音無、顔を画面の上に向ける (若干のZ.Iを伴う)
─〔覿のショット(雲が画面右上→左下へと流れる) 「何も思い出せない」
 音無のバストショット(やや斜めから) → 画面外から「目が覚めた?」 → 音無のリアクション → 起き上がる
 C.I.Aでつなぎ。音無の顔のC.U → Z.O
 の切り返し
 のショットからのゆりのC.U及び振り返り
 タイトル
 満月(雲の流れは画面左→右) BGM in
 ほぼのショットと同じフレームングだが光が変化
亜´との切り返し(対象のサイズは相違であるが、イマジナリーラインは保持)
院´と同
押,罎蠅留βΔらのショット
魁´阿汎
粥,罎蠅伐嗣気寮橘未らのショット(フォーカスはどちらにも合っている) 画面右にゆり(手前)、左に音無(奥)
㉑ 超ロングショット(階段の上に人物)二人とも映っている
㉒ 欧180度逆からのゆりのショット。ゆっくりとZ.I
㉓ ディゾルヴで肩の腕章への超クロースアップ
㉔ ㉒と同角度からのロングショット。右へパニング。
㉕ ゆり正面からの顔のC.U スコープが手前に超クロースアップされているが、ピントは合っていない。
㉖ ㉔と同だが、音無が画面真ん中に来たときに男は上体を起こす。
㉗ ほぼ瓦汎吋轡腑奪箸世若干角度がついており、最初はゆりだけが画面内。左へのパニングで音無もフレームイン。若干音無にピントが合っていない。
㉘ ゆりの右側からのショット。銃に沿って右にパニング。
㉙ のショットとほぼ同じ角度から、若干寄ったショット。二人とも顔は見えず。
㉚ 音無の右側からのバストショット。画面左に寄っている。
㉛ ゆりの右側からのバストショット。㉚よりは若干寄り。画面右。
㉜ 音無の右側からの顔のC.U。画面左半分。
㉝ ㉙と同。画面右下を指差す。
㉞ グラウンドの俯瞰ショット → ティルティング(及びピントの移動) → スコープのC.U.
㉟ スコープの超C.U スコープ内の揺れ。
㊱ ゆりの正面からのショット。ゆりの顔は画面下で少し切れている。同時にフレーミングされる音無は奥で覗き込むような体勢。ピントはやや音無にあっているか。
㊲ グラウンドの俯瞰ショット(ロングショット)
㊳ ㊱と同。音無のアクション、ゆりは不動。
㊴ ゆりの後ろ姿のC.U → 振り返るゆりのアクションをフォロー
㊵ 音無の右側からのショット。音無の首から上は切れている。ゆりは画面右側から肩から上がフレームの中。 → 音無の顔がフレームの中へ。それをフォローするた めにやや左へパン。
㊶ ゆりの正面(やや左から)のC.U
㊷ 音無のほぼ正面(やや右から)のロングショット。画面中央に四つん這いのゆりの後ろ姿。
㊸ ㊶とほぼ同(やや引きか?) → 立ち上がるゆり
㊹ C.I.Aで引きのショット。㊸とほぼ同角度。
㊺ ㊹からのゆりのバストショット。
㊻ ㊺の切り返し。音無のC.U。 → 画面外から足音と声。「おーいゆりっぺ」 → 音無、視線を正面に向ける。
㊼ 画面右から左へ走ってくる日向のフルショット。 → 動きに合わせて左へパン → 音無の顔が画面左下に入る
㊽ 日向のバストショット。
㊾ ゆりの右、音無の左、日向の左からのフルショット。
㊿ 音無のフルショット。階段を降りる音無。 → Z.O → 画面左にゆりの後ろ姿。

これは第1話の ㊿までのショットの簡単な記述です。
(Z.O:Zoom Out, Z.I:Zoom In, C.I.A:Cutting in Action, C.U:Close Up の略です)
ここまでで大体2分程度です。
まず、この中で登場人物のひとりであるゆりが説明を始めるのが亜㊻あたりまで。実に30ものショットから構成されています。これは一体どういうことなのでしょうか。この間で音無が喋り始めるのは㊱から、それまではゆりが一方的に話し続けます。この間20ショット。これを多いと思うか少ないと思うかはそれぞれでしょうが、この冗長な会話を持たすために、視覚的に、無意味なショットの積み重ねを行っているようにしか思えません。ここでは重要なのは視覚的な部分ではなく、あくまで論理的な部分であり、この世界がどういうものであるのかをひたすらに説明することに専念し、しかしそれでは視聴者を引きつける事が出来ないがゆえに、無意味にショットを割り、無意味なデクパージュを構成しているとしか言いようがないとぼくは思います。ここでは行動は完全に排され、論理のみが前景化しています。理解しようとしている視聴者はそれで満足かもしれませんが、アニメを「見よう」としている視聴者には不満です。
さて、なぜ行動が排されているとぼくがいい得るかというと、それはほとんど前景化された部分のみしか動かないからです。雲の動きを見てみましょう。雲が初めて動き始めるのは┘轡腑奪般椶任后次に動くのはショット目。そして以降、ここに挙げた50ショットの中で雲が動くショットは存在しておらず、55ショット目くらいでやっと雲は動きます。この雲が動くショット、というのは、雲が動く事が、必要なときだけであることが分かります。55ショット目くらいの雲の動き、というのは物語の加速のための演出的効果であるとかんがえられます。またあるいは┘轡腑奪般椶筬ショット目は雲が動くことがアトラクションとして存在している、つまり雲が動く事しか視覚的な面白さが出せないショットだけであると言えるでしょう。これは論理的な整合性、あるいは説明的な行動しか画面では動かないということなのではないかと考えてしまうのです。これら50のショットのなかで、フレーム内に雲があるショットというのは6割以上です。にもかかわらず、雲が動いているのは2つだけ。なにかが始まります、という時にしか、雲は動かない。これはどう考えても、論理に伴った部分でしか、事物は動かない、という、非常に乏しい表現であると言わざるを得ないでしょう。経済的な問題があるのは理解できますが、しかし開始から2分の間にこのような「乏しさ」を見せてくるアニメを見ようとは思えません。第1話、というのはあらゆる意味でシリーズの看板であるでしょう。ぼくはそれほどアニメを見るほうではありませんが、アニメが好きな人たちの中には第1話を見て、そのアニメを継続してみるかどうかを決める方もいることでしょうから、テレビにおいて1話というのは非常に重要な意味を持つ回だと言っても過言ではないでしょう。にもかかわらず、繰り返しになりますが、2分間視覚的細部のない説明的会話主体の映像の羅列を見せられても、魅力的であるとはお世辞にも言えないでしょう。そして画面上の雲が動かない、という事態は、1話全体を通してみても顕著です。なぜ雲をとりあげるか。それはこの第1話において雲がかなり頻繁に現れてくるから以外の何ものでもありません。

また、最初の部分が保健室で反復されるシークェンスですが、これも特に重要ではなく、何となくという印象を拭えません。このあと1度同様に一度黒い画面によるシーンの断絶が行われる部分がありますが(校長室のシーン)、ここでその反復が行われるわけではありません。この演出意図、というのが意味を持つのかどうかがぼくには重要ですが、単なる耽美主義以外の何ものでもないように思えます。

ひたすらに台詞が多く、行動している時でさえ、なにか不安なのでしょうか、ひたすらに喋り続けます。まだ人物の口を通して表現されることばは別として、最初のシークェンスの音無のナレーションなど、画面を見ていれば詳細までは理解できないまでも物語的に問題なく理解できる「表情」をしているにもかかわらず、それに更なる説明を加えてしまうという、過剰な「親切さ」。どうしようもなく画面を弛緩させているこのような表現を、ぼくは決して支持しません。

ただ、何か可能性がある部分も一応指摘しておかなければならないでしょう。それが上のような部分よりも比重が大きくなるのならば、見る価値みたいなものが現れてくるでしょう。しかし第1話では、そういった魅力を全くと言っていいほど感じなかった。そういうことです。

さて、ぼくは校長室のシーンでの「開かれた窓」および「ガラスに映る窓」などに注目したいとおもいます。これらの外への開かれ方、というものは何らかの物語的価値を備えているのではないかと思います。ぼくは第1話以降見ていないので何とも言えませんが、そういえば音無が3度目に死んだとき、窓を「突き破る」わけですし、その後も何度か窓が打ち破られるショットが存在しています。中央の窓が開け放たれていることも指摘しておきます。これらの可能性が、もしかすると2話以降に大きく広がっているかもしれません(視覚的に)。
あるいはバンドのシーンもぼくは好きです。何の意味もなくパトス的に現れるこれらのシーンには、論理を断ち切る可能性があるように思います。

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